屋久島の低地照葉樹林の保全を求める要望書

森林の持続的利用を目指した貴庁の林野行政につきまして,厚くお礼申し上げます.このたび,日本植物分類学会は屋久島の低地照葉樹林の保全についての要望書を提出いたします.

要望の背景

1-1. 屋久島の自然が有する価値

屋久島の自然は,低地の亜熱帯域から山頂部の亜高山帯域までの幅広い環境勾配に沿って,多様な植生の垂直分布が連続的に見られることによって特徴づけられます.世界自然遺産登録の際にも,スギ天然林の存在に加えて海岸から山頂部に及ぶ垂直分布が注目され,「他地域でほとんど失われてきた暖温帯地域の原生林(=低地照葉樹林)が特異に残存」していることが重要視されました(参考資料1).低地照葉樹林は人の生活域に接するために古い時代から開発の脅威にさらされ続けてきました.そのため,屋久島のように低地照葉樹林が他の植生とともに連続的に残存していることは世界的に見ても希有な例なのです.その貴重な自然環境の保全に,これまで多大の努力と貢献をされてきました貴庁のご尽力に厚くお礼申し上げます.

自然遺産への推薦理由(IUCNの評価書を簡略化,参考資料1)

1)天然の自然が人の居住の歴史とともに保全されてきた2)スギ優占林としてのすぐれた生態系3)暖温帯域の原生林4)各種の生物圏の典型が海岸から山頂部まで連続的に存在自然遺産への推薦理由(屋久島世界遺産センターHPを簡略化,参考資料2)1)生物地理的な移行地帯2)屋久杉を主体とした天然林3)亜熱帯,暖帯,温帯,亜高山帯の垂直分布が顕著4)多くの固有植物および南限種・北限種の自生

1-2.屋久島の低地照葉樹林の現状

上述しましたように屋久島の自然の価値は「低標高から高標高に存在する各種の生物圏とその連続性」にあります.そしてその価値を保全・継承するには,これらすべての標高帯にわたる保全の取り組みが不可欠です.現状の保全事業は国立公園地域と原生自然環境保全地域の運営が中心となっていますが,島の西部と南部のごく一部を除いて指定範囲は標高1000m以上の山地域に集中しています(参考資料3).このため,標高1000m未満の低地照葉樹林における保全事業の取り組みがきわめて手薄な状態です.屋久島の自然の価値を損なうことなく継承するには,従来の山地域の保全に加えて,標高1000m未満の低地照葉樹林における保全事業を積極的に進める必要があります.

近年に行われた低地照葉樹林の調査では,ヤクノヒナホシ(2015年新種記載),ヤクシマソウ(2016年新種記載,種の保存法指定種),タブガワムヨウラン(2016年新種記載),ヤクシマヤツシロラン(2019年日本新産,種の保存法指定種),タブガワヤツシロラン(2015年日本新産,種の保存法指定種)など,多数の貴重植物の生育が確認されています(本学会員と照葉樹林ネットワーク*の調査による,参考資料4).しかし,これらの植物の自生地の大半は国立公園および原生自然環境保全地域の指定地域外に存在し,現状では保全策が講じられていません.そのため,貴重植物の重要な自生地である椨川流域,一湊川流域,花揚川・鳴子川流域では,森林伐採および治山ダム建設とそれにともなう林道や作業道の開削が相次いでおり,低地照葉樹林の破壊とその後の表土流出や乾燥化によって上述の貴重植物は減少・消滅の危機に瀕しています(照葉樹林ネットワーク*の調査による,参考資料5).

これらの地域の大部分は国有林内であることから(参考資料3),屋久島の自然の価値を損なうことなく保全しつつ次世代に継承するには貴庁のご理解と積極的なご協力が不可欠と考え,このような要望書を提出するに至りました.

*屋久島の低地照葉樹林の調査,保全,情報発信とそのためのネットワーク構築を目的とする任意団体.2016年3月26日設立.事務局は鹿児島県熊毛郡屋久島町一湊.

1-3.林野行政への期待

森林・林業基本法第一章第二条には「森林の有する多面的機能の持続的な発揮」をかんがみた「適正な整備及び保全」の理念が記され,多面的機能の一つに「自然環境の保全」が例示されています(参考資料6,赤枠内).さらに,森林林業基本計画の「5森林及び林業をめぐる情勢変化等を踏まえた対応方向」では,「生物多様性国家戦略2012-2020」を踏まえての適切な森林の整備・保全及び利用の推進が謳われています(参考資料7,p8マーカー部分).2012年に策定・閣議決定された「生物多様性国家戦略2012-2020」には,本要望書の主な対象である渓流林に関連した項目として「国有林野においては、保護林や緑の回廊に設定されていない渓流等水辺の森林等について、その連続性を確保し野生生物の移動経路や種子の供給源等としての機能を果たすよう、天然林は維持すること」と記されています(参考資料8,p142マーカー部分).

1-2で述べた貴重植物の生活史・生態に関する研究と今後さらにこの地域から見つかる可能性のある新種・新産植物の研究の場としてこれらの地域を利用してゆくことは,世界遺産屋久島の賢明な利用(wise use)/持続的な利用(sustainable use)としての意義を持つと考えられます.

世界遺産屋久島の低地照葉樹林の価値を損なうことなく次世代に継承するために,これらの施策方針に沿った保全事業を積極的に進めて頂くことを期待します.そのことが世界遺産屋久島の価値をよりいっそう高めるものと日本植物分類学会は考えています.

要望

日本植物分類学会は,世界遺産屋久島の価値を損なうことなく次世代に継承するためには低地照葉樹林の重要性についての理解とその保全が重要と考え,以下のように要望いたします.

1.屋久島の低地照葉樹林について積極的な保全措置を至急に講じること. 貴重植物が集中する椨川流域,一湊川流域,花揚川・鳴子川流域などの渓流沿いの低地照葉樹林については,「保護林」等への指定をふくめた積極的な保全事業を進め,生物多様性の保全と持続可能な森林施業の両立を図ること.

2.屋久島の低地照葉樹林において大規模伐採や砂防ダム建設およびそれらに付随した林道・作業道などの計画が持ち上がった際には,利害関係者及び専門家らが十分に議論する場と期間を設け,生物多様性の保全と持続可能な森林施業の観点に基づいた判断と合意形成を行うこと.

3.貴重植物が集中する椨川流域,一湊川流域,花揚川・鳴子川流域などの渓流沿いの低地照葉樹林について,「生息地等保護区」への指定や「国立公園地域」への編入について関係諸機関と協力すること. これらの低地照葉樹林について,すでに自然遺産や国立公園に指定されている山地照葉樹林および冷温帯林との一体的な保全を図ること.また,屋久島の低地照葉樹林の生物多様性保全と持続可能な森林施業を進めるに際して,環境省および地方公共団体をはじめとした関係機関及び関係諸団体と協力・連携すること.

令和2年4月10日

日本植物分類学会会長代行 藤井伸二

送付先:林野庁長官,林野庁九州森林管理局長

(※参考資料はウェブ掲載版では省略)